1998年 ペルーの労働事情

1998年9月24日 講演録

トーレス・チンチャイ・ホァン
ペルー電話会社労組連盟 書記長

 

フジモリ大統領と経済政策

 私はペルー電話会社労働組合と、その上のペルー統一労働組合同盟に属していて、また同時にORITに属しています。
 90年代に入って、新しい大統領候補が出てきました。日系の大統領、つまりフジモリ大統領の出現です。最初、モリナ農業大学校の学長でしたが、その後リマ市の公共事業関係のポストに候補となりました。しかし、それを拒否しました。当初、政治家を目指した段階でうまく実を結ばなかったということで、さまざまな人々を集めてカンビオ(変革)90という政党を組織する形になりました。当初は、上院のポストを占めることが目的でした。それは当時の憲法に従うとそれが可能でした。しかも、対立候補として、かの有名なバルガスジョサという著名人がいたので、当時、当然ながら大統領になることは考えてもいなかったと思います。このバルガスジョサ氏は、すべての国営企業を民営化し大量の公務員の解雇、そして経済ショックを与えるという手段を選挙公約に掲げていました。このことにより、国民が対抗馬であったフジモリ大統領に票を入れたという形になります。
 つまりフジモリ大統領は、国営化、民営化をしない、解雇もしない、何も売らないということを公約に掲げたわけです。そして、前政権を通して実質の所得が下がっていたものを回復するために、給与の引上げということまでうたっていました。そのような中で、1回目の投票でバルガスジョサ氏が勝つ予定が勝つこともなく、そして2回目の投票で、非常に大差をつけてフジモリ大統領が勝利をしました。
 第1次政権において、2人の社会党系の政治家を採用しています。教育相とエネルギー鉱山相の2つのポストです。しかし、この教育相もエネルギー鉱山相も長くは続きませんでした。というのは、フジモリ大統領が、世界の中で生きていくためには、やはり国際通貨基金(IMF)が築いた国際基準に従っていかなくては生き残れないということで、方向転換をしたからです。そして4月4日に自主クーデターを行います。2年間の民主的な政治が行われていた中で、各政党は国民に対してマイナスの要素になるような法案が通らないように努力してきました。しかし、そのこと自体はIMFの意にはそぐわないものでした。このような状況の中で自主クーデターというものを行ったわけです。自主クーデターは1992年4月5日に強行されました。この自主クーデターにより戒厳令が発令され、国民の自由な通行が禁止され、国会は閉鎖され、憲法が停止、司法権も剥奪、そして退役の海軍軍人を据えることになりました。
 ネオリベラリズムの政治についてお話しします。ペルーでは、1,600万人の人たちがかなり貧困な生活を送っていて、600万人が極貧の生活者です。統計によりますと、770万人のペルー人、7.9%が、実際に経済活動を行っている、つまり雇用を持っている人口の数です。770万人というのは労働力人口でして、そのうち給与所得のある人口が250万人、535万人が失業者という数です。この数字を見ますと、人口の92.1%が完全及び不完全失業者という形になります。92.1%の完全失業、不完全失業の中で、58%は完全な失業者で、数字としては500万人です。町の中に失業者が非常にあふれているということで、1つの爆弾を抱えているような状況になっています。
 このように、フジモリ大統領がネオリベラリズムの政策をとったということ、つまり、国からの補助、支援というものがない政策をとったことにより、犯罪が多発しています。その犯罪を撲滅する意味で、かなりきつい刑罰が適用されていて、いわゆる終身刑というところまでの刑罰がつくられています。そLて、状況として悪いことには、いわゆる民事裁判ではなく、軍事法廷を使った裁判を行ったことです。刑罰の対象に14歳以下の子供まで含めていることで、組織犯罪の危機が、実際に出てきています。つまり、ほんとうの意味での社会問題を解決するというよりも、その危機の種をまいている形になってきています。
 家族計画及びIMFから指導されたほかの内容について、IMFが家族計画を提案していますが、このこと自体、市民及びカトリックの教会からは非常に反対が出ていて、政府が人口調整のために圧力をかけているとしかとらえていません。貧困が非常に増えてきていることで、政府の不策が問題になっています。貧困に対処するために売春が増えてきていますが、その中で非常に若い女の子たちが売春行為をしている現実があります。男女を問わず、日本、アメリカ、アルゼンチン、チリ、ヨーロッパを含めて、日々、移民を試みる人たちがいます。このような国に仕事を求め、よりよい将来を求めるために人々は移動しようとしています。これが今のペルーの現実で、フジモリ大統領がネオリベラリズムという政策をとったがために起きた結果です。いわゆる社会食堂というか、貧困の人たちのための食堂というものはあります。人々はそちらに行って食事をもらおうとする、それがだめなら一杯のミルクを求めていくわけですが、それでもだめな場合には、やはり一番古い職業、売春という形に走ります。
 子供自体も家庭を捨てて、仕事があるところへはどこへでも動いていきます。今までは中流家庭と言われた人たちの子弟も、小学校、中学校、それぞれのレベルで、父親が失業したために学校に行けないということも起きています。そのおかげで、字が読めない人たちの数が増えていますが、それも教育というものが民営化されてきた悪い結果の一つです。

ネオリベラりズムの労働組合への影響

 ネオリベラリズムの中での新しい政策、法制度について話します。フジモリ政権がついた段階で、労使関係に非常に大きな変化が出てきました。つまり、組合側、労働者側の権利の剥奪という形になりました。法律の名前は雇用促進法というものはありましたが、労働組合側から言えば、長い闘いの後に得た労働者側の権利が剥奪されたということで、組合側は失業法というふうに呼んでいました。また、自由手形というか、何も細かい条項なしで契約ができる雇用形態も、新しくつくったわけです。そして、解雇令が出た場合に、司法で被雇用者のほうが権利があったとしても、結局、経営者側のほうに解雇する権利があるように法律ができています。最終的には、12ヵ月の月給を支払うということで解決するという方法も取り入れられました。また、労働者にとっては幾つかのマイナスの措置がとられました。いわゆる派遣社員制度、派遣社員会社の推進、共同組合組織というものを入れることにより、労働者というものを搾取する方向に向かうような契約形態も可能になったわけです。そして、今までの法律、さっき言いました雇用法というものが組合側は失業法と呼んでいたものですが、これ自体の名前が変わって、生産性法、それから競争力法と名前が変わっています。この新しい法律は2つとも、個人の権利をより柔軟に制限する形になっています。前よりも、適用がかなりひどくなってきたことです。柔軟化をしたことにより、企業は約100万人の人々を解雇するのにこの法律を使っています。
 このようなプロセスがあったために、非常にたくさんの組合というものが消えてなくなりました。今まであった幾つかの協約を守るのに必死というのが現状です。そして、ペルーにおいて経営者の考え方、労働者に対するきちんとした評価がないということで、ペルーの労働者は非常に奴隷的な扱いを受けているのが現状です。働く労働条件が非常に悪い条件になってきた、給与も非常に低くなってきた、長年獲得してきた権利というものが剥奪された、インフォーマル・セクターが生まれたということで、今のペルーの現状というのは、非常に悪い状態になってきています。