1999年 ブルキナファソの労働事情

1999年7月14日 講演録

バルトルミー・ティアラ
ブルキナファソ労働組合連盟(CSB) 財務局長

 

国の紹介

 ブルキナファソは世界で3番目に貧しい国です。海にも面していない国で、ブルキナファソの最も海に近い地点が、海から500キロ離れています。人口は約1,000万人、面積が約27万4,000平方キロメートルで、国民のほとんど、約80%が農業に従事しています。平均寿命は52歳です。
 経済、産業活動は、農業を中心としていますが、気候は降雨量が少ないのが特徴です。
 資源としては、わずかながら鉱物資源があります。マンガン、金、銅、石灰岩などが産出していますが、開発はまだまだ不十分な状態です。
 ブルキナファソはフラン圏の中に入っており、通貨はCFAフランを使っています。(CFAというのは、アフリカ経済共同体の略語です。)
 政治関係についてお話しします。民主主義で中央集権国家、そして宗教は自由な国です。政党としては60政党あり、最も大きな政党が現在与党のCDP(「進歩と民主主義のための国民議会」)2番目はPDP(「進歩と民主主義のための党」)です。そして、大統領制であり、その任期は7年です。政府は総理大臣の指導のもとにあり、国民会議は二院制を採用しており、111名の国民議会の議員がいます。そして、最高裁制度があり、情報審議会、ブルキナファソ仲裁委員会、地方単位として45地方、そして47自治体、綱領として「統一、進歩、正義」という言葉を挙げています。

CSBの沿革

 私たちの労働運動は3つの段階を経て、現在に至っています。第1の段階は1966年から始まり、その年人民及び労働者が一致して、体制を変えようと運動し、当時の共和国の総理大臣であるモーリス・ヤミヨグは、この政府から去らねばならなくしました。第2期は、1974年から始まり、当時、労働者は非常に安い賃金で雇われており、また、あまりにも労働条件がひどいために、すべての労働者が一致団結して、3日間にわたるゼネストを敢行しました。このストライキを契機として、政治体制を変えることに成功したのです。第3期は1983年から始まりますが、トーマス・サンカラという人の指導のもとで革命が行われた時期で、これを革命期と呼ばれています。この年から1984年にかけて、全教員組合のストライキが行われ、これが革命に結びついてきました。
 当時、教職員のストライキは禁止されていましたが、それにもかかわらずストを敢行したために、約3,000人のすべての教員は解雇されました。また、闘争によって、多くの人が命を失うことにもなり、食べ物もなくなってしまい、その教員の家族が離散というような悲劇も招く結果となってしまいました。
 現在、ナショナルセンターは7つありますが、実際に活動を行っているのは2つに限られます。一つは13の組織が集まってつくった「コレクティビッテ・トレース(13の共同体)」と呼ばれる労働組織で、これに各種の自立組合が参加しています。この組織は非常に政府に近いところにあり、さまざまな問題に際し、政府に非常に協力的です。CSB、私どもの組織が、これを管理しています。第2のグループは、CGTB共同体です。これは、政府との対話を拒否している、反体制派組織です。このCGTBは野党をも組織しています。
 こうした状況が労働運動にも非常に大きな影響を与え、イデオロギー対立が激しく、それは個人のレベルにまで浸透しています。以前3,000人の教員が解雇されて、非常に生活に困窮したということや、政治の介入から、国民はストライキを敢行することに戸惑いを感じています。労働運動の指導者は、こうした労働者の傾向を批判しています。
 人々が労働組合に入るのをためらうために、組合費の徴収もままなりません。ブルキナファソの労働組合は、政府からの補助金は一切受けていません。ほとんど労働組合の指導者が個人的に労働組合活動を援助している状況で、例えば、組織化運動のために地方へ出かける際にも、自分の車を使わなければなりません。今年4月にも、ある人が教育活動に出かけた折事故に遭い、車が壊れてしまうといったことがありました。

雇用状況

 雇用問題についてですが、インフォーマルセクターの従事者が非常に多くなって就労強化しています。国家あるいは政府は正式な雇用創出をすることができなくなっており、民間の企業も、十分なだけの雇用を確保することができなくなっています。しかも、幾つかの国営企業は民営化されようとしており、社会的な圧力による問題が至るところに広がってきています。最近の例は、砂糖を生産する国営企業の民営化でしたが、労働者は非常に大きな不満を持っています。