1999年 ザンビアの労働事情

1999年9月22日 講演録

ニュートン ムウェータワ
通信労働者全国労働組合 事務局長

 

ザンビアにおける経済政策

 経済政策を遂行しようとして、現政府は経済の自由化とほとんどの労働法の規制緩和を目的とした、幾つかの抜本的な対策を実施しました。経済の自由化によって、物品価格の統制解除が開始されました。1990年の労使関係法もやはり1993年に改正され、それによるいろいろな措置の1つとして、複数の全国産別組合を許可しました。この法律の制定の結果どうなったかというと、改正以前に労働組合や個々の労働者に法律で提供されていたさまざまな給付、恩典や保護が失われました。たとえば、経営者が住居を提供する義務がなくなった、雇用保障、適正な紛争処理手続、労働運動の弱体化を目的とした労働組合の細分化が起こりましたし、また労働組合権の重大な侵害が起こるようになりました。また、労働者の逮捕や労働者のデモに対する過剰な力の行使なども行われました。

急激な構造調整政策

 国内経済の持続的成長、安定した一般的物価水準、雇用創出への刺激、ザンビアの国際・収支の安定的均衡などを助長し、達成させ得るような政策には反対していませんし、また、以上のような目的を達成することを目的とした構造調整政策に反対しているわけでもありません。しかし、我々が憂慮している点は、政府が全面的な構造調整政策パッケージを実施しているときの方法とペースであります。順序立てたやり方が過渡期、及び適切な社会的手当の欠如は、特に憂慮されています。なぜならば、緊縮財政の厳しい反動は貧しい労働者のみでなく、社会全体に悪い影響を与えましたが、以上に挙げた点はそれにきちんと対応していないからです。
 民営化計画もまた、企業清算に伴う社会経済的混乱をもたらしました。援助の附帯条件である企業清算の結果、大量の人員整理が行われ、語り尽くせないような社会的貧困が発生したからです。急激な人員整理は、組合の組織人員を減少させました。

独裁体制のMMD政府

 次に政治状況です。ザンビアは27年間に及ぶ1党独裁体制の後、1991年に政治的複数政党制に復帰しました。複数政党政治制度の再導入にもかかわらず、ザンビアの政治状況を特徴づけているのは、単一政党、複数政党民主主義運動(MMD)と呼ばれる政党ですが、それが圧倒的な優勢状態であること、それが一方にあり、他方に、極端に弱い野党があるという状況です。このような政治的シナリオはザンビアを事実上1党支配の政治制度にしてしまいました。というのは、MMD政府は不人気な政策を常に思うとおりに採用し、実施できるからです。
 そのような理由のために、ザンビアの労働組合は他の市民組織と一緒になって政府に対し圧力団体の役割を果たし続けています。それは、政府及び権力の座にいる者たちに対して刺激を与え、彼らが国民に対して負っている責任を思い出させるためであります。政府の不人気な政策を批判してきたため、組合はときに誤解を受け、またときどき反政府勢力のレッテルを張られてきましたし、また、当局によって大変不公平な扱いを受け、苦難を強いられ、嫌がらせを受けてきました。そういう状態です。
 そういう状況だとしても、我々は弱者であり、沈黙の多数者である我々の組合員が完全に解放され、労働者の権利と人間の尊厳が回復されるまで、これらの不正義に対する闘いの手を決して緩めません。