2001年 ガーナの労働事情

2001年7月25日 講演録

ガーナ労働組合会議(GTUC)
ローランドウォビルモソリ

全国運送・石油化学労働者組合 委員長

 

国内の状況

 人口は、約1,850万人です。昨年の12月まで約20年間にわたって、同じ指導者によって治められました。はじめの12年間は軍事政権、残りの8年間は民主政権で指導が行われてきました。政権の任期は、1期4年です。
この期間は労働組合運動にとって非常に厳しい時期でした。政府は極めて反労働組合的でした。労働組合は大規模な運動を展開して、政権の交代を求めてきました。この努力が実を結んで、昨年選挙で政権交代が実現しました。そして、新しい政党と協力をしながら活動しています。
議会には労働問題を審議する委員会があります。
政権が交代した時点では、国の財政は赤字を抱えていました。赤字がどのぐらいの規模かというと、約50億米ドルです。そこで政権は、HIPC イニシアティブを受けるといSう政策を打ち出しました。
もちろん政府にとっては、そうする以外選択の余地はなかったわけですが、労働組合に対しての事前の打診とか、協議がなされませんでしたので、労働組合としては少し不満が残ります。
また、最低賃金が全国レベルで国全体をカバーする形で設けられています。最低賃金は3者構成からなる委員会によって決められています。現在の最低賃金は、米ドルにしますと一日当たり1ドルにも満たない状況です。通貨はセディで、5,500セディが1ドルにも満たない状況です。
経済の状況は、原油価格の高騰により、石油関連製品の価格も値上がりしました。過去に比べると約65%の上昇です。消費者物価にも影響を及ぼし、最終的には労働者の実質賃金にも影響を及ぼしています。 
また、公共料金も引き上げられ、電気や水道の料金が約7割ほど上がっています。もう1つの大きな社会問題はHIV/エイズの問題です。アフリカのほとんどの国にはエイズが広がっていて、ガーナも例外ではありません。

GTUCの活動方針

 1つは組織拡大です。組織を拡大していくために、これまで組合に入らなかった者、例えば企業の管理職を組織化していこうと考えています。
もう1つは、エイズに関する認識を高めていくことです。これは非常に積極的な運動の、1つとして行っています。ガーナ政府、NGOさらには国連の関連組織と協力をしながら、エイズの問題に関する認識を一般的に深める運動を展開しています。また、インフォーマル・セクターの労働者も組織化していこうと考えています。
目標を実現するための具体的な活動を説明します。
GTUCには17の産別が加盟しています。その17組織のトップがGTUCの執行委員会を構成し、いろいろな問題を議論しています。
これはGTUC本部の中で行われます。次は地域レベル、日本でいえば都道府県レベルで似たような会議が開かれます。さらにもっと細かい地域単位での会議が開かれます。こうした会議を通じて、労働組合の組合員のみならず、例えば使用者側、そして、政府に対して影響力を持つオピニオンリーダーの教育を行っています。ロビー活動も行っています。
もう1つ行っている活動としては、いろいろな分野で、健康や衛生の問題に関してのレクチャー、講義を行っています。専門家を招いて、労働者に対しての教育を行っています。
具体的にいうと、講義に来る人たちに対して、どうやったらエイズを予防できるのか、それを具体的に教えます。例えばコンドームを配ったり、それから、エイズに関しての詳しい説明を記載した印刷物を配ります。さらにはエイズに感染した人は、どのような悲惨な状態になるのか、写真などを見せながら教えます。そして、講義に参加した人には必ずコンドームを1箱持って帰ってもらいます。今のところ、エイズを治す方法はありませんから、ともかく予防をし、それを未然に防ぐことが大事ですので、それを労働者に教えています。
もう1つ、これは職業訓練に関してですが、GTUCは、3つの職業訓練学校を設立しました。この職業訓練学校では、学校を最後まで卒業しなかった人、何らかの理由でやめてしまった人、そういう人たちがこの学校に通って、何らかのスキルを身につけて、そして、生活していけるように指導しています。例えば美容室で働けるようにとか、洋裁、服をつくったりして生計を立てたり、もしくはほかのビューティー関係、例えばマニキュアですとかペディキュア、そういったものをするようなスキルを身につけてもらって生計を立てられるように指導しています。
それから、国際的な機関、例えばITSですとかWHOと連携をとり、ホームレスの状態になっている人たちを収容できるような施設を立ち上げています。ホーカーと呼ばれている、行商人ですが、そういった人たちは独身であっても、家族持ちであっても、夜寝るところがない、ホームレスの状態ですので、そういった人たちが眠れるような施設、収容できるような施設というものを立ち上げました。
もちろん何の問題もなくこういったことが実現できたというわけではありません。ほかにもいろいろな我々の活動が制限されるような要因もあります。