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フィリピン砂糖産業労働者の現状と課題

2024.04.08掲載

インフレが現代世界を覆っている。欧米を旅行する人々は4500円というラーメンの値段に驚き、欧米向けツアー料金も100万円台が多くなってきた。フィリピンのインフレはそこまでは行かないが(2023年4.1%で1年8か月ぶりの低水準【JETRO経済短針23年12月25日号】)、庶民の足ジープニーの価格も1ペソずつじりじり切りあがり、今や13ペソとなった。(1ペソ=約3円:2024年4月5日現在)

こんな中で、今フィリピンの一つの話題は砂糖の輸入である。以前、砂糖はフィリピンの重要な輸出品だったが、その砂糖が輸入せざるを得ないとはどういうことなのだろうか。
砂糖がフィリピンに持ち込まれたのは19世紀半ば英国人によってであった。ネグロス島が砂糖生産地として発展し、20世紀初頭から米国が砂糖の国家管理を開始、そのほとんどを米国に輸出するようになった。昨年、JILAFの招聘プログラムに参加したアンナさんの会社「ハワイ・フィリピン砂糖会社(hawaiian-phillippine Company)」もその名が示すように、1918年に米国の砂糖精製技術をフィリピンに持ち込んだ会社だった。1974年マルコス時代にはフィリピン砂糖交易公社が発足し、砂糖は国家の戦略的商品としてサトウキビの伐採から製糖、販売まで国家管理に委ねられた。ところが1980年代中頃、砂糖価格が世界的に暴落し、ネグロス島は「飢餓の島」と呼ばれ、多くの子供たちが栄養失調で亡くなる事件が起こり、国際的にも注目を浴びることになった。
この当時の砂糖産業はスペイン以来のアシエンダ制という大規模農園経営を基礎に、労働者を雇用し、サトウキビの伐採、製糖の作業に従事させるものであった。ネグロスは当初人口も少なかったが、イロイロ州があるパナイ島で地元の織物産業が英国の産業革命の影響で壊滅的打撃を被ると、多くの人々がネグロス島に移り、砂糖農園、製糖工場で働くようになる。ネグロス島ボコロド郊外にあるシュガーバロンと呼ばれた事業家たちの屋敷跡を見ると、当時の栄華が偲ばれるが、それも専ら労働者や農民の過剰な搾取に依存するものであった。
労働組合としては2つの組織がある。1つは全国砂糖労働者連盟(NFSW)と呼ばれる左派KMU系の組合、もう1つは全国砂糖産業労働組合会議(NACUSIP)と呼ばれる中道右派TUCP系の組合である。両者の攻防は激しく、フィリピンの労働組合運動では、決定的な意義を持つ各企業の団体交渉権者確定選挙では、あちこちの会社で両組合が衝突している。この制度は各企業ごとに一般労働者の選挙により団体交渉権者となる労働組合を選ぶものだが、これに勝つと団体交渉権をもつ労働組合としてほとんどすべての権益が手に入る。

 

筆者は、NACUSIPのロランド・デ・クルズ委員長にインタビューする機会を得た。(2024年3月4日)
―フィリピンの砂糖産業の状況を教えて下さい。
「砂糖危機と呼ばれるように、砂糖産業は幾多の危機を乗り越えて現在に至る。例えば、1976年から1979年の第1次砂糖危機、1984年から1990年の第2次砂糖危機がある。これは全世界で砂糖の価格が急落したことによって引き起こされた。現在は第3次砂糖危機と言えるかもしれない。これは無秩序な砂糖輸入によって作り出された。砂糖が不足していると言う宣伝が行われ、砂糖の値上がりを抑えるため、タイから砂糖を輸入することが行われた。問題は、年間輸入割り当て量は決まっているのだが、最近バタンガス港で密輸船が見つかったように、無秩序な輸入が行われていることだ。この裏には農林省の役人がワイロを貰って目をつぶっていることもある。」

―砂糖労働者に影響も出てきていますか。
「影響もある。CADPI・ナスグブ・バタンガス・セントラル・アズチャレラ・ドン・ペドロ社の例が典型だ。この会社は突然精糖作業を停止し、125名の労働者を解雇した。勿論労働者は納得せず、全国調停仲裁委員会に訴えた。2回委員会は開催されたが、まだ妥協点は見いだせない。組合としては親会社のロハス・ホールディングに解雇を撤回するように働きかけている。」

―NACUSIPの強みは何でしょう。
「NACUSIPは、1960年代私の父が作った組合だ。私の父は下院議員となり、13カ月目の給料(ボーナス)の支給などを導いた。父の強い勧めもあり、私は弁護士の資格を得た。組合委員長が弁護士でもある所が強みである。今方針としては、砂糖産業ばかりでなく、商業や工業労働者の組織化を行う団体を作り、共闘している。サービス産業の国際産別UNIのフィリピン加盟協議長となったのも我々の幅を広げるためだ。」
砂糖産業といえども労働運動発展のカギは、横の幅を広げることのようだ。ロランド委員長夫人の実家もスペインの血を引く旧家として砂糖に従事してきたと言う。(夫人も、2016年にJILAFの招聘プログラウにたばこ産業労組役員として参加している。)このようにフィリピンの砂糖産業は歴史と伝統に根付き、労働運動にも大きな影響を与えてきた。今なおフィリピンでは農民、労働者、その家族を含めると500万人が砂糖で生計を立てていると言う。今後も労働運動の観点からフィリピンの砂糖を追っていきたい。