1999年 パレスチナの労働事情

1999年11月10日 講演録

ムハマンド・マームード・サーレフ(アルーリー)
パレスチナ労働組合総同盟 法律業務局長

 

 パレスチナの労働組合運動についての核心的な問題について、お話しします。1997年に、パレスチナの歴史上初めて、パレスチナ自治政府ができたことにより統計局の手によって、パレスチナの人口統計がなされました。中央統計局という組織が継続的に人口動向を調べておりますが、2000年には、パレスチナの人口は約315万人、そのうち労働者人口は約65万人になると推定されています。
 パレスチナの領土外のパレスチナ人口は約450万人と言われていますが、これについては、きちんとした統計をとることができません。私どもは、最近になって初めてパレスチナ領内の人口について統計をとることができるようになったのですが、パレスチナの外の人たちについては、常態的に移動を繰り返しており、例えば、湾岸危機で見られたように、約35万人がヨルダンからパレスチナに流入したというようなことがあります。
 そして、パレスチナの外にいるパレスチナ人労働者については、パレスチナ国内の労働運動に参加するのではなく、例えばヨルダンやシリア、その他の国に住んでいるパレスチナ人は、それぞれの国の労働組合に所属することができます。そういう事情もありますが、外に住むパレスチナ人の労働組合というものが1964年に結成されました。そして、設立当初は、シリアに本部が置かれ、次いで、チュニスに移り、オスロ合意後、最近になって、パレスチナ領内に移りました。

パレスチナの労働組合連動の歴史

 パレスチナにおける労働運動そのものについては古い歴史があって、今世紀の初頭にさかのぼります。
 1921年に、ハイファでアラブ労働者の闘争という組織ができました。1924年、パレスチナ労働組合が結成されました。当時はイギリスの委任統治下でハイファ鉱や鉄道部門で多くのパレスチナ人が働いていました。最初のパレスチナ労働組合大会は、1933年にエルサレムで開かれ、執行部が選出されましたが、執行部は当時の政治情勢に大きく翻弄されました。それは、パレスチナ人とイスラエル人、つまり、イギリスの助けによってこの地に多数流入してきたユダヤ人移民との間の闘争です。
 1936年、パレスチナの労働者は英国政府を相手取って、独立を求める6ヵ月間のストを行いました。これは世界で最も長いストライキと言われています。
 1948年以降、西岸地区はヨルダンの一部となり、その間に、西岸の各地区には9つの組合が結成されました。
 1960年代の初頭、これらの組合を統合する労働組合連合の大会が開かれ、そこで執行部が選出されました。これが現在に至るパレスチナ労働組合の最初であると言えます。
 1967年の占領以降は、大変に苦しい状況に追い込まれました。執行部は、イスラエル当局からの厳しい弾圧を受けたり、ある者は拘留され、ある者は追放され、また、ある者は殺されました。それは、我々の活動が、主にパレスチナ民族の自由、また、労働問題に関する基本的な権利の獲得を求めていたからです。
 80年代の半ばにも、私どもは大変に強い弾圧を受けました。それは、私たちが労働運動の戦線を統一するため、団結しようとしたからで、各組合の執行部のほとんどは拘留されました。ここにいるイブラーヒム氏は3年半の間、監獄に入れられましたし、私も7回、連行されました。そういった中で死んでいく者もいました。
 イスラエルの占領政策は、パレスチナの工業の発展を阻害し、イスラエル経済へのパレスチナ経済の従属を強めることでした。パレスチナ労働市場はブラックマーケット化し、多くのパレスチナ人をイスラエル国内で安い労働力として使用しました。その数は、70年代初頭に約15万人に上りました。オスロ合意以降、今日に至るまで、私たちが経済的な復興を遂げ、失業問題を解決できるという期待を持ちつつも、全くそのような期待は現実化していないというのが現状です。

パレスチナ人の労働状況の現状

 1999年6月の統計では、イスラエル領内で働いている登録された労働者数は、4万7,576人です。これに加えて、約5万人以上の非正規就労者、すなわち労働許可証を持たないでイスラエル領内で働いている人たちがいます。その99%は西岸から行っている者たちであります。非公式な就業者が99%は西岸だという理由は、ガザにはベルリンの壁のような完全な壁ができていて、許可証を持った者でないと通ることができないからであります。このような人たちは、当然、イスラエル国内で差別的な労働を強いられるので、労働条件が非常に悪く、労働法が守られない状況下に置かれています。この人たちの権利を守るための特別の部局を総同盟内につくって、問題解決に当たっています。

パレスチナ労働組合総同盟について

 我々の総同盟の組織についてお話しする前に、オスロ合意の後、自治政府ができたために、私たちの組織の中でも大変大きな発展があったということを話さなければなりません。
 新しい綱領が制定されましたし、執行部の選挙方法なども整備されました。
 組織では、近い将来、このような形を目標にしています。最高意思決定機関である大会があり、大会で執行部を選出します。大会と大会の間、執行部を指揮するのは、書記長が主宰する書記局です。書記局というのは、ナショナルセクレタリーという役割で、それぞれの役職を持ったセクレタリーがいます。例えば教育出版局、財政局、法律問題、国際関係、健康保険、それから組織局です。
 大会は、約13の産業別組合から成っています。その産業の分け方は、基本的にはILOの分類によります。例えば、食糧、観光、化学産業、繊維、公共サービス、保険サービス、電力、建設、銀行、保険、印刷とパブリシティー、陸上運輸、教育、郵便通信、これが大まかな現在西岸に存在している組織です。
 現在に至るまで、西岸とガザの間では、この組織の形が少し違っています。なぜなら、占領があったために、両地域の間で連絡が十分にできず、また、それぞれの地域の特性があったということです。しかし、これをできるだけ統一しようという動きがあり、現在もその努力をしているところです。

パレスチナ労働組合総同盟の活動について

 私は法律問題を担当してますので、その中を説明することで、活動内容を少し具体的に説明したいと思います。
 私の部署は、法律問題局という1つの局で、仕事の内容は、イスラエル領内で働いているパレスチナ人の権利を法的に保護するということです。それに加えて、将来のパレスチナの労働法制度を整備していくという別の仕事もあります。法律問題局には15人のイスラエル人弁護士がいて、イスラエルの監獄に入っているパレスチナ人の権利を擁護しようとしています。そして、西岸の各都市には調整員がいて、それぞれの地区を代表しています。
 法律問題局が去年達成した幾つかの業績を申し上げます。
 私たちのところへ、イスラエルでパレスチナ人労働者が問題となった裁判が1,700ほど来ました。そのうち解決できたのが約420。その中には、集団的な問題もありました。その訴訟によって獲得した金額が400万シェケル、約100万ドルです。
 私たちはこれまでに、約23のワークショップを開きました。それから、助成局内において約33のワークショップ、また、法律問題については、4つのコースが西岸で開かれました。そして、6つのイスラエルの労働法制に関するコースが開かれました。この6つのコースはすべてJILAFの財政支援によるものです。そのうちの3つは、今年99年に開かれました。

パレスチナの情勢

 女性労働力は、パレスチナにおいては、全労働力の16%にすぎません。失業率ですが、中央統計局の2ヵ月前の統計によると約18%ですが、この統計はILO基準に基づいたもの、すなわち、1週間に1時間以上働いた者は失業者ではないという基準によるものですので、実際の失業率というのは約38%と推定されます。
 しかし、この失業率は、イスラエルによる封鎖が行われる際には、急激にはね上がります。というのは、イスラエル領内で働くパレスチナ人が職場に行くことができなくなるからです。
 そして、約1ヵ月半前に3日間で、貧困と失業に関するセミナーというのが開かれましたが、それによると、約半数以上のパレスチナ人は、貧困レベル以下の生活をしているということです。
 こういった大変に悪い経済状況が、私たちの失業問題を解決しようとする活動にも悪影響を及ぼしているのは言うまでもありません。オスロ合意、ワイリバー合意、そして、最近の一番新しいのではシャラムエルシエク合意がありますが、このような合意が重ねられる一方、経済状況は悪化する途であるという事実があります。
 私たちはすべての当事者と話し合いの場を持ち、失業問題、貧困からの脱却、そして新卒者に対する就職機会の確保に全力を挙げています。

パレスチナの労働法制について

 パレスチナにおける労働関係法制の現状について申しますと、これは世界でも最も複雑な問題を抱えています。
 現在、西岸で施行されている法律というのは、1965年のヨルダンの法律第2号です。そして、ガザで施行されている法律は、1960年のパレスチナ法律第16号です。また、西岸の政府関係者については、ヨルダンの別の法律が適用になります。それから、イスラエルの軍事指令があり、これは西岸地区で施行されている法律の一部を改正するものです。
 そして、パレスチナ立法機関、パレスチナ議会でこれまで2回討議されたパレスチナ労働法案があります。パレスチナ人の労働者の権利を守ろうとする、この分野に働く者にとっては、これらすべての法律のことを知らなければなりません。その上に、イスラエルが結んでいるイスラエル国内のパレスチナ人労働者の権利を守るための合意などについても知らなければなりません。ここ数年、私どもが努めてきましたのは、パレスチナ領内及びイスラエル領内で働くパレスチナ人の権利を保護するために、これらすべての法律に対する知識を持った幹部を養成することです。
 しかし、このような大変に時代おくれの法律ですら、私たちの国においては、依然適用されていないというのが現実であります。なぜなら、法律が存在してもそれを監督するシステムが存在しないからです。
 その結果、労災事故も数多く発生し、その際の保護がされないという現状があります。
 私がここへ来る1週間ほど前に、ヘブロンにある工場で火災が発生し、14人が焼死しました。そして多くの人がけがをしました。ラマラでは建物の崩壊が3件ほどありましたし、ラマラやナブルスなどでも火災が起きました。これらは全部、基本的な労働安全のための基準が守られていなかったからです。
 私どもは、このような状態を座して見ているわけではなく、パレスチナの労働者のいるところすべてに対して、労働安全基準を守るように強く働きかけています。
 大変に強引なまとめになりますが、今最も重要なことは、パレスチナ領内であれ、イスラエル国内であれ、パレスチナ労働者を保護するための最新、かつ、公平な立法措置が講じられることです。
 パリ経済会議の後、私たちは、イスラエル政府とイスラエルのクネセットがパレスチナの労働者に課している、ヒスタドルートに支払われる1%の税金の半分を返すための合意をしました。
 労働者の保護のためには、イスラエルの法律をよく知らなければならないので、こういった問題をパレスチナ人幹部に理解させるために、JILAFから大変な貢献をいただきました。
 将来は私どもは、すべての面で私たちの組織を立て直さなければなりません。それは立法措置、労働法制、社会制度、すべてです。また、長い間、牢屋に入っていた幹部に対する教育訓練も施さなければなりません。

イブラーヒム・アブデル・ハーディ・アルバトラーン
金属労働者総同盟 副委員長

 

ガザでの労働運動の歴史

 まず最初に、1964年にガザで始まったほんとうの意味での労働運動の組織化及び1965年に起きたことについて説明します。
 1964年に4つの組合が結成され、また、65年に2つの組合が結成されましたが、これらの組合の活動は、80年に至るまでイスラエルの占領当局が存在したために活動を禁止されていました。
 1980年が、本当の意味での私どもの活動の始まりと言えます。ほとんど組合の幹部が拘留されてしまい、組合の建物には2人しか残っていないという状況が起きました。
 しかし、その残りの組合員が結束したために、1987年になって、占領当局の軍令により、組合の事務所の開所が条件つきで認められました。その条件というのは、大変にお笑いのもので、第1に、1日に1時間以上開いてはいけない、第2に、新しい役員を任命してはならない、第3に、幹部会を開いてはいけない、第4に、組合事務所が開かれたということを一般労働者に知らせるような出版物を出してはならないということです。
 しかし、私たちはその条件を受け入れざるを得ませんでした。それは、こういう組織が国民や大衆の指示のもとに存在しているということを証明するためです。
 そのため、私たちの活動は、完全に秘密事に、地下組織として行わなければなりませんでした。そして、すべての組織への加入者は、自分たちが加盟していることを知られないように、カバーのもとに活動をしました。その後3年間、この活動は完全に秘密裏に行われなければなりませんでしたが、91年に、最初の組合の役員選挙を公開で行うことができました。それは、私たちの組合活動の歴史においては2番目の大きなステップでした。
 この1991年の選挙によって、活動は、ガザにおいても、また、イスラエル国内においても、法的に存在するものと認められるようになりました。

ガザにおいての組織構成について

 このことは、組合活動をする者にとっての正当性を与えることとなり、組合の中に、すべての職業をカバーする12の部局ができました。
 この12の部局というのは、西岸にも存在している同じような機能です。しかし、組織図は、西岸とガザとでは異なっています。先ほどムハマンド氏が紹介した、この西岸で提案されている組織図については、西岸とガザとの間で意見交換が行われましたが、幾つかの理由において、ガザ側ではこれを拒否しています。
 1つは、それぞれの部局の名前のつけ方について、両者間で相違があります。ガザ側で提案しているのは、一番下に一般労働者がいて、その上に支部、その上に一般同盟があり、その上に執行部があります。さらにその上に事務局があり、その上に毎日の仕事をする事務当局というものがあって、その上にゼネラルセクレタリーがあります。その上に委員長、書記長がいるという、組織構造です。
 ガザには、構造について問題がありますが、64年から組合活動は存在しています。他方、西岸においては、それぞれの都市、それぞれの地域別に、会議、評議会、委員会が存在しています。
 ガザにおいて、私たちは、まだ私たちの活動は頂上まで行っていないと思っています。ガザで存在している仕組みが一番長いとも思っていません。しかしながら、現実として、これまでやってきた方法が、私たちがやってきたやり方です。
 西岸とガザが置かれている政治的な状況というのは違っているわけですから、そこで組織的な形も違っていてもいいのかもしれません。しかし、西岸とガザでは、組織としての統一はあってしかるべきです。どちらにいても、労働者の利益のために活動するという点では同じです。

ガザでの労災の現状について

 ガザにおける労災の事情は大変に危険な状況はあります。1998年には10人が亡くなりましたし、99年は、9月までの間に16名が死んでいます。他方、労災、傷害事件については、769名です。これは98年から現在までの数字ですが、そのうち222名は99年に起きています。それは、ガザという地域が大変に狭く過密である上に、安全のための予防措置が講じられていないからです。ガザの面積は360平方キロメートルで、人口が120万人です。しかし、面積のうちの45%はイスラエルに占領されています。このような過密状態に人口が置かれますと、そこで人工的な不安定、生活上の不安定が起き、それらが労災事故につながっています。

労働者の現状について

 1999年1月にイスラエル国内で働いた労働者の数は2万5,806名です。同年5月の数は2万5,424名で、少し減っています。
 イスラエル国内へ入る労働者は、常にその立場が脅かされています。まず、そこに入るためには、25歳以上の労働者であって、結婚していることが必要です。そして、イスラエルによる閉鎖があれば、失業率というのは急速に上昇するし、38%ぐらいあるということも事実ですが、1999年の中央統計局の統計によりますと、ガザの失業率は18.3%になっています。

パレスチナ総同盟の活動

 これらの大変な問題から私たちが脱却するために、総同盟として、パレスチナ議会に対して提案した諸点があります。

  • 労働災害防止のための評議会を設置する。この評議会には、政労使及びNGOその他の機関が参加する。
  • 労働災害防止のための法制度を整備し、これを尊重する。そして、これに違反する使用者に対する罰則を強化する。
  • 小学校から高等学校に至る教育過程において、安全教育を徹底する。
  • パレスチナに入ってくる資材を研究し、分析する特別の研究所を設置する。
  • すべての建築現場等に出されている許可を見直し、その許可が不十分なものについては取り消す。
  • 職場安全等に関する教育のための出版を行う。
  • 労働省に監督官のような職務を設置する

 これらの問題は、もちろん、パレスチナ立法機関、パレスチナ議会におきまして審議され、決定が下されました。それは、パレスチナ人の労働者を建築・電機設備等の職場での労働災害から守るためです。
 パレスチナ総同盟、ガザで出している出版物の第4号の中で、組合活動の現状のみならず、労災を防ぐための幾つかのガイドラインのようなものも掲載しています。
 以上がパレスチナ総同盟のガザにおける活動の内容です。