1997年 アルゼンチンの労働事情

1997年11月18日 講演録

金属労働組合(CGT加盟) 
ラモン・ビセンテ・マシェル

執行委員

 

保守的な現政権

 私は、アルゼンチンの経済、特にマクロエコノミックの現状についてもお話しいたしますが、特にこの1年間にアルゼンチンで起こった重要な事態について、焦点を当ててお話ししたいと思います。
 まず第1に申し上げなければいけませんのは、アルゼンチンの政治的な状態ですが、これは、この14年間、完全に民主主義のもとで推移しております。現在の政権は自由で民主的な選挙によって選ばれた政権ですが、政権についたのは1989年でした。
 私たち労組側としては、1989年に政権についた現与党を支持し、かつその党員ですらもあったわけですが、現在の与党が政権についてからは、実は労使との間に厳しい闘争が繰り広げられました。89年に政権につきましてから、現与党は、完全に自由な、しかし、保守的な政策を繰り広げました。これはアルゼンチン史上始まって以来のことでした。
 この政権が最初にとった政策というのは、我々、つまり労働者がその時点まで持っていた様々な労働者の権利を削減することでした。この政権は国内の最も反動的、かつ最も保守的な政治勢力と結びつくことを始めました。この現政権は、全面的な勝利で選挙を経てきただけあって、国会では大多数を手にしておりましたので、国民がどう反対しようが、どのように国民がつらい思いをしようが好きな経済政策をとることができました。我々が思い出す限りにおいて、アルゼンチンの歴史の中で最も厳しい経済政策をとってきました。

労働法の改悪

 95年、現大統領は再選され、財界勢力との同盟関係をさらに強めました。それによって、労働改革法案を国会に提出しました。
 その段階で出された法案というのは、実は与党の議員さえも、だれもそれに賛成の票を投じようとはしていなかったくらい国民に人気のない法案だったんですが、国会議員に対して圧力をかけるために、政府は新たに3つの政令を決めました。その新しい労働改革法案の中には、3つの問題となる内容が入っていました。
 その1番目は、労働時間の延長でした。それまでの過当たりの労働時間は45時間、つまり、1日9時間でしたが、それを1日12時間に引き延ばそうとするものでした。
 2番目の内容は、休暇の時期についてでした。南半球ですから、それまでは、10月から4月という夏の期間にバケーションをとることができたのですが、新しい法案によると、休暇を年中、1年を通じていつでもとっていい。そして、ばらばらにとっていいということになったのです。
 そして、3番目の法案の内容としては、労組が労働条件について、会社側と交渉することができないというものでした。これについてお話ししなければならないのは、日本と違って、向こうには、企業別の労働組合というものはありません。労組の代議員が出て、その人たちが全国組織をつくるという形。そして、いわば日本の産別に当たる組織が企業側の代表と交渉して、労働条件を決めていくというシステムです。こういった政府の労働改革法案に対して、私たちは96年に4回のゼネストを打ちました。こういった労働者の権利を損なおうとする政府の意図に対して抗議の意を示したわけです。
 相変わらず国会に提出され続けていたこの法案に、我々も抵抗を続けました。97年8月14日、これまでのところ、最後のゼネストを打ちました。

22%にも達する失業率

 それから、この1年間、さまざまな社会的な現象でも重要なことがアルゼンチンでは起こっています。例えばたくさんの失業者が、特に地方において幹線道路分断の抗議行動を行っています。
 アルゼンチン政府は、現在、失業率を公式に17%と発表しておりますが、我々の計算によれば、これは20%以上、正確には22%に達するものと思われます。つまり、労働人口のうち450万人が職を手にしていないわけです。

野党は団結して対抗

 今年、もう一つ大事な政治的な状況が起こっています。これは伝統的に、イデオロギー的な対立のあった2つの大きな野党が大同団結をしました。そして、1997年10月26日の選挙のために力を合わせたのです。政府に反対するために。この10月26日の総選挙というのは、上院・下院ともに選び直す全国的な選挙だったのですが、これで、大同団結をした野党側は全得票の50%を獲得して、勝利しました。今年の10月26日までは絶対多数を持っていた現政権は、この選挙を経て、上院・下院両方で絶対多数を失いました。これからはより民主的な論議ができるようになると思います。
 我々は、もちろん経済人ではございませんので、いろいろな数字を挙げるということはいたしません。数字をもって告発するということは、もっと大きな国際会議ではやっておりますが、CGTといたしましては、いろいろな国際会議に出て、我々の国における労働権、または人権の侵害についての告発もやってきたことに触れておきたいと思います。