2002年 フィリピンの労働事情

2002年6月5日 講演録

フィリピン労働組合会議(TUCP)
カルロスシソンカルロス

キルサンジョリビーフード労働組合教育・調査担当

 

フィリピンの歴史

 スペインのマゼランがフィリッピンを発見したのは1521年でした。その後、400年間フィリッピンはスペインの植民地となりました。従って、フィリッピンは文化的にも言語の上でもスペインの影響を色濃く受けています。植民地時代にスペイン人の入植者は、フィリピン住民に対していい扱いをしたとは言えません。特に、マラヤに対してはいい扱いをしませんでした。その後フィリッピンは1898年に自由を勝ち取り、スペインから独立をしました。独立の4年後にフィリピンにおいて労働運動が開始されました。フィリピンを独立に導いた英雄が労働運動も開始しました。その人の名はガトフーノ・アンドレス・ボニファシオといいます。このガトフーノというのはフィリピンで使っている形容詞ですが、非常に偉大な英雄といった意味の敬称です。2002年5月1日、世界中で労働者の祭典が行われていましたが、フィリピンでも一番大きな労働組合が集まって式典を催しました。
その式典にはグロリア・アロヨ大統領も出席しました。その場で大統領は電力法案の見直しを指示しました。この電力法案は電力を使っているユーザーは電力会社に対して追加的な支払いをしなければならないことを義務づけた法案です。労働者のみならずフィリピン人であれば、だれもがこの電力法案に関して関心を持っていたので、非常に重要なことだったと思います。

TUCPの活動方針

 まず第1点として、貧困というのが大きな問題です。この貧困の緩和のために大統領は労働組合側からの協力を求めています。
 そして、もう1つ重要なことがありました。国内経済サミットが開かれたときのことです。弁護士出身のTUCPメンドーサ会長が経済サミットのときにステートメントを発表し、フィリピンの政治家たちは政治的な駆け引きばかりにうつつを抜かし、真の意味での政治はお留守になっているので、政治的な駆け引きをやめて、国のためのきちんとした政治を行なうよう求めました。フィリッピンの労働組合は政治家に政治的な駆け引きをやめさせたいと考えています。
 もう1つの大きな問題は失業問題です。日本では、現在失業率が約5%ということですが、日本にとっては非常に深刻な問題だと受け取られているようです。フィリピンでは失業率は11.4%に達しています。シンガポールや日本では失業率が大体5%ぐらいであるのに、非常に深刻に受けとめて心配をされているようです。フィリピンではその倍以上の失業率ですが、笑って受け流しているようなところがあります。

具体的な活動

 TUCPが行っている青年向けのプログラムについて申し上げます。このような青年向けのプログラムは、ナショナルセンターにとって重要な意義を持っていると思います。
 TUCPの青年委員会はタガログ語の頭文字をとりまして、KKMPと言われています。フィリピン青年労働者会議といったような名称です。当初のKKMPは1985年に設立をされましたが、残念ながら6年ぐらいで自然消滅してしまいました。そこで、1998年になって再びKKMPを発足させました。
 このKKMPは、特に大衆活動で非常に主導的な役割を果たしているということを強調しておきたいと思います。2001年1月、前大統領エストラダの追放のために、まず最初に運動に立ち上がったのがKKMPとTUCPのメンバーでした。2001年1月、街頭で大きな集会を開いて、それが結局、エストラーダ大統領追放につながっていったと思います。 1月25日に1万1,000名を集めて、14マイルの道のりをマラカニアン宮殿まで歩いて行きました。その宮殿でエストラーダ大統領は辞任に追い込まれることになりました。
 青年委員会というのは労働運動の中でも中心的な役割を担っていると考えます。青年委員会が労働運動を持続させて、子供の世代も労働運動を通じて恩恵をこうむれるように、持続させていきたいと考えています。私たちは若い労働者たちが持っている無限の可能性をできる限り引き出して、活用していきたいと考えています。その中から、フィリピンにおける将来の労働運動を担うリーダーを育てていきたいと考えています。