2006年 アゼルバイジャンの労働事情

2006年2月1日 講演録

アゼルバイジャン労働組合連合(ATUC)
メラハット・ガリバガ・ネスブラーイエワ

「アゼルネフチヤグ」オイル精製プラント労組中央執行委員

 

 1904年、アゼルバイジャンで最初の労働組合が正式に活動を開始した。この労働組合は労働階級をまとめた統一最大組織の一つである。1904年12月バクーにおいて(最後の)労働協約が石油産業の経営者と労働組合の間で結ばれた。1906年以降、政府は労働組合の規約を承認するようになった。この設立された労働組合の活動目的は、組合員の社会保障、失業者支援、医療支援となっている。
 (ソ連崩壊後)アゼルバイジャンは2度目の独立を果たしたわけであるが、独立後はさまざまな産業経済部門での改革が必要になったが、労働組合の改革も必須なものとなった。
 1993年2月、重要な意味を持った労働組合の大会が開催された。この大会で労働組合評議会が設置され、これまでの組織を解体し、現在のアゼルバイジャン労働組合連合(ATUC)に全権を引き渡す決定がなされた。
この新しい労働組合により、これまでの(旧体制)管理主義に終止符が打たれた。また、各地方組織にも権限がもどり、自らイニシアティブを取りながら新しい活動に取り組み、世界の労働組合の流れにあわせることが可能となった。
新しい組織に加盟した労組は26であり、独立した規約のもとに活動を行っている。ATUCは加盟労組の活動を全体的に調整を図るということ、憲法と最高意思決定機関で承認された規約により活動を行っている。大会5年に1回招集される。ATUCの主な活動として、政府への要求がある。組合員の権利と利益のために政府の決定、法律の撤廃や停止、変更等に関し要求活動を行っている。
 現在、組合の権利保障、活動に関する法律は国会において採択されている。連合は政府機関、労働社会擁護省、財務省、教育省、青年スポーツ省、労働社会擁護基金等の関係機関とは、建設的な関係にある。
国際活動としては、1992年ILOに加盟し、政府、使用者と共に活動している。また、諸外国の経験を学ぶため、海外のナショナル・センターとの交流を行っている(トルコ、フランス、ベルギー、ドイツ、エジプト、日本、ブルガリア、中国等があげられる)。2000年11月にICFTUに加盟をした。
 国内においては、1994年2月労働組合法が採択され、労働組合は国から独立して、規約の枠内で自由な活動ができるようになった。(私が所属している)ATUCの加盟組織である石油・ガス産業労働組合は最大の産別組織であり、1991~1992年の間に、石油・ガス産業の中に、3つの単組-自由労組、独立労組、生産合同労組-が結成された。
アゼルバイジャンは石油産出国であり、1994年外国資本と大規模契約が調印され、外国の大手石油会社が直接投資を開始、50社が進出している。進出当初は組合の組織化は困難であったが、組合の努力の結果、合弁企業5社に組合が結成されている。私が所属をしている石油プラント労組は、約72,000名、青年評議会、また女性評議会が設置されている。
 私は産別組織の女性委員会の副委員長を務めており、プラント工場の従業員は、3,500名(うち女性2,000名)である。
 単組の活動は、労働者の権利と利益の擁護、賃金支払い遅延を防ぐ等がある。労働協約は、3年の期限であり、15章120項目からなっているこの協約によって、新生児、難病の子供のケア、弔慰金、年金生活者への補助金(1カ月分の給料)等の支援が行われる。
 毎年、企業の予算で社員住宅が建設されている。また、国の住宅法に基づいて、労働者は順番がくれば無料で住宅がもらえる。優先順位として、勤続年数、勤務態度、障害者がある。企業として、海岸に保養施設を持っており、民間企業が経営する施設14ヵ所も、労働組合員が使用できる。
 最後に、私はアゼルバイジャン国民であり、国として深刻な問題である、占領されているカラバフ問題にふれたい。現在国土の20%がアルメニアに占領され、100万人の難民が存在する。政府の外交により、欧州評議会はアルメニアを侵略国としてみなしている。私は子供を持つ母であり、流血問題には反対である。国際社会はわが国を平和主義国家として認めているが、平和的な領土の返還が不可能な場合は、最高司令官の命により、戦争に参加する用意がある。