1999年 トーゴの労働事情

1999年7月14日 講演録

コムラン・エロワ・ヌーウォッサン
全国中・高等技術教育労働者組合 第二副書記長

 

国の概要

 トーゴというのは、西アフリカに位置する5万6,000平方キロのごく小さな国です。主な産業は農業です。労働人口の70%が農業に従事しています。人口は400万人で、大変若い層が多く、10歳以下が40%、15歳以下は55%という構成になっています。平均寿命は54歳です。
 次にトーゴのクーデターのことを話します。1960年にフランスから独立し、1963年1月にクーデターが起こりました。また、1967年に2回目のクーデターが起こり、その時の中心人物が現在の大統領でもあります。1969年に、それまであった政党がすべて解体され、新しくできたトーゴ人民党が政府与党となり、その独裁体制を1990年まで続けました。1990年、国の民主化、そして複数政党主義の導入が図られることになりました。
 現在、トーゴにはナショナルセンターが8つあります。流れとしては3つあり、1つは政府・現体制を支持する流れで、UGSLが代表的な組織です。また、自立組織としては、民主化を推進している我がUNSITとGSAがこの代表的な流れの組合です。そして、このどちらにも属さない、またかつて存在していたナショナルセンターが復活したものですが、これはCNTTと言います。

UNSITの沿革

 トーゴの労働運動そのものは1945年から始まっています。当時、教員及び記者組合というのがあり、その組合が非常に活発に活動していました。この年から1971年までの間にナショナルセンターが2つ存在しました。1959年に設立されたUNTTと1968年に設立されたCSTTです。この2つのナショナルセンターのほかに、1962年に独立組合として、中等・高等教員組合が設立されました。私が所属する組合です。
 1972年、当時の政府与党は単独政党でしたが、この政党がUNTT、CSTT、そして私のいた教員組合を解体し、新しくナショナルセンターを設立しました。単独政党RPTがつくったCNTTですが、政府にかなり近い組織でした。このCNTTが、1973年から1991年にかけて、労働者が望む望まないにかかわらず、すべての労働者を管理していたのでした。
 そして、1991年から現在にかけて、民主化運動、あるいは組合の独立運動等が活発に展開されてきました。先ほどお話ししました、一たん解体されましたCSTTは、またこの1991年の民主化により復活し、活動を始めるに至ってます。それから、UGSL(自由組合総連盟)は、私どもの組合CSTTと、それからGSAというナショナルセンターが計画したストライキを崩すために、政府によってつくられた組合です。私が所属する新しいナショナルセンターは、1991年に設立され、他のナショナルセンター、組合もそれぞれの活動を展開しています。このときのストライキは、1992年9月16日におこなった社会秩序及び公正で透明な選挙を求めてのストライキでした。独立した自由で民主的な労働運動のない国に民主主義というものが根づくわけがありません。そうした中で、労働運動の独立、自立を得るために果たした組合、そして組合員の役割というのは大変大きなものがあると思います。

UNSITの現状

 民主化が図られないと、国際社会からの援助も得られず、私たちの国あるいは国民自身が非常に苦しい状況に置かれています。こうした中で、組合費を集めることに大変苦労しており、財政的な困難を抱えている我が労働組合は、教育や、あるいは広報活動に支障を来しています。
 また、民主化運動を進める過程で、労働者の組織についてさまざまな話が飛び回り、組織の拡大が図れないといったことがあります。例えば、UGSLのように、政府の言うことなら何でも聞く、政府を全面的に支持するという組合もありますが、独立組織はそうではないので、テレビとかラジオ、あるいはマスメディアでの発表の機会を封じられて、情宣活動が困難となっています。私どもの組織は16の加盟組合を持っていますが、組織拡大、各地方での情宣教育活動に大変苦労しており、組織そのものの存続が危機にさらされています。
 社会的な治安が乱れて、私ども、あるいは他の労働組合は非常に危険にさらされているわけです。例えば、我々の組織の副書記長は、自宅で何者かによって殺害されました。おそらく、労働組合が民営化といったことに強力に反対していることによるものだと思われています。ICFTUでは、この暗殺事件に関して、詳細に調査するようにと大統領に親書を送ったのですが、残念ながら、この調査はいまだに行われていません。