2007年 ニジェールの労働事情

2007年11月14日 講演録

ニジェール労働組合(USTN)
Djibo Amsa Yacouba

 

ニジェール労働運動の変遷

1946年のウフェ・ボワニ法により、強制労働が根絶され、同年のラミン・ゲイ法により、労働運動大きく前進。

1952年から1960年の間における労組の勢力変遷:

  • 1952年UDN(ニジェール民主連合)を基本USTC創設
    (以前はULSNと呼称。いずれのナショナルセンターにも加盟せず、非常に存在感のある組織)。
  • CGT-FOニジェールセクション創設。東部のCGT-FOは、当時一党支配の政党、PPNRDAの支持を得る。また、独立した経営者団体もあった。
  • 1957年、PPNRGAの指揮下ブラックアフリカ労働者総連(UGTN)の創設。

1960年、ニジェール独立とともにUNTN結成するも、PPNRDAの強権一党独裁労組支配続き、独立の動きを抑圧。

1969年、ルネ・デラニが最低賃金引き上げ要求。

1970年、多業種間の集団合意が成立して、雇用安定が確保され、UNTN(とUSTN?/年次区分説明混乱?)は、PPNRDAの政府から最低賃金引上げをかちとる。
ただし、唯一のナショナルセンターはPPNRDAの支配の手段となる。

1974年、軍事クーデター独裁体制の中で、労働組合運動漸進。

1976年、UNTNは総会でUSTN(ニジェール労働組合)に名称変更、労働組合の独立を目指すことを採択したため、軍事政権から大弾圧を受け激しく対立。

1987年CMS(国家軍事評議会)の大統領死去まで労組の苦難続く。

1990年代に入り、後継大統領(将軍)の政策で、USTNは一息つき労働運動も少し前進。同時に国の政策も開かれたものになり、労働組合は非常な決意を持って、基本的な自由をかちとるために戦った。

今日の状況

 政治の解放とともに、それが労働組合においても複数の労働組合の活動が期待されたが、1996年、新ナショナルセンターCNTの創設を機に、他のナショナルセンターが結成され、今日では七組織になって、どうにかきちんとした要求を出すことができるようになった。1980年代にUSTNは中央アフリカ労働者センターの援助で、政府の労働者に対するさまざまな不利な政策をとめることができた。同時期、労働者のための消費者組合をつくることができた。しかし、残念なことに、このイニシアチブはあまりきちんとした結果を出すことはできなかった。