1999年 ベナンの労働事情

1999年7月14日 講演録

ポーラン・アムスー
ベナン航空・旅行業労働者組合 書記長

 

国の紹介

 ベナンというのは西アフリカのごく小さな国で、面積が11万2,600平方キロメートル、人口は500万人です。

CSA-Beninの遠隔沿革

 ベナンの労働運動というのは、アフリカ全体、特にブラックアフリカ全体の黒人解放史と非常に密接な関係を持っています。1957年1月のことですが、UGTAN(ブラックアフリカ労働者総同盟)が設立され、その後1972年、ダホメの労働運動が起き、その年は非常に画期的な年になったわけです。1972年、軍部のクーデターが起こり、このクーデターが当時の労働運動に非常に大きな影響を与えることになりました。そして、翌1973年、ダホメ労働者戦線というのがつくられ、全労働組合の協力を得て、ナショナルセンターの結成大会を目的とした労働運動が繰り広げられるようになりました。
 ところが、科学的社会主義を国家が導入したことにより、この労働運動そのものが幾つかの流れに分裂されることになりました。つまり、政治に積極的にかかわっていこうとする労働運動のグループと政治とは独立した自立的な労働運動を繰り広げようとするグループの2つの流れが生まれたということです。そして、数々の流血の事件を経まして、最終的には、政治に積極的に参加していくという路線が認められるようになり、唯一のナショナルセンターが設立されました。そして、ナショナルセンターの書記長が、国民議会の議長も兼ねていました。
 そうした状態が1982年まで続き、1989年、社会不安を招いたことから、学生や教員組合が一斉に立ち上がり、激動の時代を経て、この体制を逆転することに成功しました。当時は大変な経済危機に見舞われており、また社会不安も広がっていました。大学を出た学生たちが全く仕事に就けないといった状況でした。
 このような中で、私たち労働組合は、新しいナショナルセンターの結成大会に向けて運動を展開しました。しかし、当時活動していました唯一のナショナルセンターは、こうした新しい運動を阻止しようとし、さらにほかの労働運動グループをそのナショナルセンターの支配下のもとに再組織しようとしました。ここで、このナショナルセンターから独立した労働運動グループが「生き生きとした労働、生き生きとした力」という名前のグループを結成し、国民会議やナショナルセンター結成大会に向けて活動を展開し、新しい体制を生み出すことに成功しました。この新しい体制となって、複数政党主義が導入されるに至り、その際にさまざまなナショナルセンターが設立され、わがCSA-Beninも1991年9月9日に設立されました。その際、同時に4つのナショナルセンターも設立され、そのうち2つは連盟組織、1つは自立組織です。CSA-Beninは1997年に第2回大会を開催し、政治、経済、社会すべての面にわたる生活向上を図っていこうという方針を決定しました。

CSA-Beninの現状

 次に、CSA-Beninが抱えている問題、あるいは弱点といったものについてお話ししたいと思います。まず、労働教育に関しての設備や能力に欠けていることがあげられます。また、労働教育、あるいは労働関係についての研究、調査といった作業をするための方法、や資金の不足のために困難を感じています。そのほかに、現在、『ル・トラバーユ』(労働)という名前の広報誌を隔月刊で出していますが、組合費、予算が不足しているために、こうした広報宣伝活動もできない状態になっています。
 労働組合、労働運動というのは、政治活動も重要であり、労働組合自身が、選挙あるいは政治的なキャンペーンにも参加することになります。こうした政治的な影響力を用いて、私ども労働組合は政府に対して、ナショナルセンターへの助成金を出すことを認めさせることができました。この補助金の額は2億CFAフランです。(100CFAフラン=1仏フラン=19円)

※上記政府からの助成金について質疑応答によって以下の点が確認された。

  • 助成金は労働省ではなく財務省から組合基金管理委員会へ支払われそこで管理運営される。
  • この制度は昨年から始まり、組合基金管理委員会には財務省からの代表も加わっている。