2004年 チュニジアの労働事情

2004年11月10日 講演録

チュニジア労働総同盟(UGTT)
ハイケル トラベルシ

チュニジア労働総同盟 ビゼルト支部青年委員会コーディネーター

 

国内の状況

 チュニジアは北に地中海、西にアルジェリア、東にリビアに接する地域に位置しています。人口は約1,000万人で、うち47%が若者です。主要産業は農業で、GDPの約60%を占めています。就業人口の3分の1は工業に従事しており、最も盛んな工業は繊維です。繊維産業には約25万人の労働者が就労しています。その次は観光産業で、約8万人が就労しています。
 チュニジアはフランスから1956年6月に独立しました。1981年に大きな政治的な改革が行われ、その結果1982年に初めて複数政党による選挙が実施されました。以降5年ごとに大統領及び国会選挙が実施されています。今年の10月24日にも大統領選と総選挙が行われたばかりです。
 チュニジアには幾つかの重要な非政府組織が存在しますが、その最右翼は、唯一の労働組合であるUGTTです。アムネスティ・インターナショナルの活動も活発で、チュニジアに支部を持っています。ほかにも文化活動が盛んに行われており、映画の生産及び映画人の協会があります。
 チュニジアは1970年に計画経済から自由市場経済に改め、1984年には世界銀行と国際通貨基金(IMF)の指導による構造調整計画を受け入れました。その指導のもとでチュニジアは経済発展に努め、1988年には現在のEU諸国とのパートナーシップ協定に合意し、農業部門を中心とする各産業部門への海外からの投資を奨励しました。その結果、農業自給率が上昇し、90年から2004年にかけて段階的に経済成長を遂げることができました。この過程において観光業が非常に重要な役割を果たしたほか、輸出産業育成のためのインフラが整備され、金融業などの基礎的分野が成長しました。また社会的な側面では、99年から2004年にかけて、労働者代表と使用者代表との間の対話が促進されました。

UGTTの成り立ち

 チュニジアで最初に労働組合が結成されたのは1925年1月20日のことです。当時チュニジアは植民地支配下にあったわけですが、労働者の権利を確保し、植民地に反対する活動を行うことは違法とみなされ、その組織は解散を命ぜられました。1937年にはゲナーウィ氏の指導で再び労働組合活動が起こりましたが、これもまた弾圧を受けました。
 その後、1944年にハッシャード氏がチュニジアの南部で労働組合活動を再開し、この活動が1945年5月6日にチュニジアの首都にまで拡大しました。
 チュニジアの労働組合活動は常に植民地主義者に抵抗する運動の中心をなしてきました。またさまざまな政党との関係を絶つことで、人民の大衆的な活動としての基盤を形成してきました。労働運動が人民の中で非常に大きな力を持っていたために、フランス植民地当局は労働運動を弾圧し続けました。その中で1947年にチュニスやスファクスでデモや暴動が起こり、1952年12月にはファラハト・ハッシャード氏が暗殺されました。
 1951年に国際自由労連(ICFTU)に加盟をしました。現在、UGTTは国際組織では、マグレブ諸国労働組合協議会(USTMA)、アフリカ労組統一機構(OATUU)、ICFTU-AFRO、国際アラブ労連(ICATU)に加盟しています。

具体的な活動方針

 UGTTはチュニジアにおける唯一の労働組合組織として、これまで労働者の権利獲得と擁護に努めてまいりました。
 現在UGTTはチュニジアにおける最大のNGO組織と言えるでしょう。加盟人員数は50万人で、すべての産業部門を網羅しています。主な意思決定機関は5年ごとに開かれる大会、そして大会と大会の間に開かれる中央委員会、また3カ月ごと、もしくは必要に応じて開催される執行委員会です。一番最近の大会は2002年2月に開催され、その大会で青年の活動が最も大事であることを訴えました。また外国の労働組合と連携し、世界的な労働組合活動に学ぶことを心がけ、使用者と対話を通じて協調し、敵対的でない労使関係を築くことを促進しています。
 執行機関としては、執行委員会事務局があり、このトップがUGTTの書記長です。書記長には数名の副書記長が付いて、各分野の仕事を補佐しています。その下に各産別の執行委員会、地方組織の委員会を置いています。また基礎組合においては、それぞれから7人の執行委員が選出されます。この基礎組合は最も重要な組織であり、ここで選ばれた代議員がすべての大会で議決を行います。

UGTTと政治

 次に政治の場におけるUGTTの役割について簡単に述べます。UGTTは政党との政争には巻き込まれないように大局的な観点から政治活動と一線を画し、より大きな目的である国民の自由や経済的な繁栄のために、特に教育、保健問題などの要求実現をめざして活動しています。またパレスチナやイラクなどで起こっている国際的な人種差別に反対してまいりました。
 経済面においても国の政策とは一線を画し、より公的部門の重要性を訴え、国内市場を重んじ、輸出一辺倒である国の政策に異議を唱えてきました。
 そして社会面では協調的な労使関係をめざし、海外移住労働者、特にヨーロッパにおけるチュニジア及び北アフリカ出身の労働者の団体との連帯を取りながら、海外移住労働者の権利保護に努めています。