1999年 チュニジアの労働事情

1999年6月16日 講演録

アブデサタール・モハメッド・マンスール
UGTTマハディア地域支部 書記長

 

労働連動の歴史

 我が国の労働運動の歴史は前世紀の末にまでさかのぼります。当時、チュニジアはフランスの植民地支配のもとに置かれていました。その中で、フランスの労働運動はチュニジアにその支部を広げようとしましたが、この活動はチュニジア国民の満足のいくところではなく、その活動は植民地支配者にとって有利なものでしたので、私ども独自の労働運動をつくりたい。そして、その運動の中で、国の労働者の権利を確保するとともに、国の独立、主権の回復を実現しようとしたのです。
 そして、そのような動きの一番初めは、1924年につくられたチュニジア労働者総連合で、この創始者はチュニジア最初の労働運動の父と呼べるモハメド・アリ・ハーミでした。この人はその当時の港湾労働者や鉱山労働者などの一部を組織してこのような運動をしたのですが、もともとその運動の基礎が弱かったこともあり、植民地支配と結びついたさまざまな勢力がこの運動を妨害し、創始者であるモハメド・アリは逮捕され、裁判にかけられて追放されたのです。したがって、この最初の試みは失敗に終わりました。
 この後、第2のチュニジア労働総連合という組織を創立する動きがあるのですが、当時は第二次世界大戦で世界中が揺れていたときでもあり、この第2番目の試みも失敗に終わりました。短期間で終わってしまいました。
 チュニジアの労働者はチュニジア人のための労働運動の実現を待ち望んでいました。そして、ファラハト・パッシャードという労働運動の指導者の努力によって、当時設立されていた南部労働組合連合と北部組合連合の統一がなされ、チュニジア労働者総同盟の最初の設立総会が1946年1月20日に開かれました。それは第2次世界大戦直後のことです。
 私たちの組織の歴史は53年ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。当時は依然植民地支配下でしたので、労働運動と国の開放運動の両方に尽くしました。その運動を統一したファラハト・パッシャードは、1952年12月5日に暗殺されてしまいました。
 国民の抵抗運動は独立の年である1956年まで続き、その中で労働者は経済的、社会的な闘争を続けました。
 60年代には、私たちの同盟は国が近代的な発展を遂げるために貢献しました。そして70年代においては、我々の組合は非常に苦しい立場に追い込まれました。それは、自分たちの活動の独立性、そして独立自由な運動を求めていたのですが、政府の干渉を受け、1978年1月26日にゼネストを計画したことにより、幹部のほとんどが逮捕され、非常に厳しい判決を受けたのです。しかし、この状況を私たち労働者の連帯と団結が救ったのです。そして、指導者は開放されました。
 80年代の半ばにおきましても、70年代と同じような問題を経験しましたが、87年に起きた大きな政治的な変革により、それ以降は安定して、我々のチュニジア労働者総同盟は特別大会を開いて、すべての権利を回復しました。そして、現在は当局からの完全な独立を有しており、また、関係も良好であります。この間、2回の全国大会を開きました。その最後はことし4月6日、7日、8日に開かれた第19回大会です。

実現した活動及び獲得した権利

 私どものチュニジアにおける労働運動は、数多くの成果を上げています。そのうちの最も重要なものは、賃金に関する団体交渉の権利、これは1947年に獲得していますので、それ以来の長い歴史があるということ、そして、労働法制をつくるに当たっての参加する権利、これは1960年の労働法によって認められました。また、労使間の関係を整備するための要求をする権利、こういったものです。このような結果、たくさんの産別の労働協約というものが結ばれることになり、1996年までにその産業別の労働協約の数は50になりました。
 そして、このような産別に存在している使用者と組合間の労働協約、これをさらに発展させる動きが最近行われていますが、現在の最も成果の上がっているところで、その結果、毎年5~6%の賃上げを獲得しています。そして、もちろん公務員法の改正ということもあります。

国際競争激化による失業増加

 チュニジアが従来設けていた関税を徐々に撤廃するということによって、自由化されています。その結果、小企業がチュニジアの場合多いのですが、このような小企業は、競争力がないために非常に苦しい立場に置かれている。その中での労働市場の問題があり、大変に失業が増えていて、失業率が上がってしまうという問題があります。そして、中には閉鎖に至る事業所もたくさんあります。したがって、このようなグローバル化がもたらす否定的な影響から脱出するためにも、世界の労働者がともに団結をして立ち向かっていかなければならないのです。