2002年 ケニアの労働事情

2002年7月17日 講演録

ケニア労働組合中央組織(COTUK)
セバスチャンヴィタリスオダンガ

ケニアプランテーション・農業労働組合経済・調査担当書記

 

国内の状況

 COTUKは約50万人の組織人数で、31の加盟組織があります。
この10年、ケニアでは多くの変化が起こりました。労働運動は一般大衆の間で、少々信頼を失っています。幾つかの要因がありますが、その中でも大きいのは、この期間に多くの人たちが失業したのにもかかわらず、だれも失業した人たちを代表する人がいなかったという点です。
1992年に初めてケニアで多党制の選挙が行われました。そのとき、ほとんどの組合指導者は議会に議席を得るために運動を始めました。同じ1992年に、労働組合の役員選挙も行われました。労働組合の選挙で選出された事務局長が、同じ年に行われた総選挙において、議会の議席を獲得しました。
同じ時期、世界銀行とIMFは、資金援助に対する一定の条件を付した条件をケニアに突きつけてきました。その条件の一つは、公務員の数の削減であり、更にその他の部門でも同じ条件を付してきました。
COTUKの事務局長が国会で議席を持っており、おまけに彼は与党の一員であったので、これは希望を持てるというふうに労働者も考え、一般の国民も考えていました。というのはCOTUKの最高幹部は、急進的な意見を持っている者が多いと見なされ、労働者の味方になって、助けてくれると思っていたからです。
同じ年ですが、COTUKは全国でゼネストを呼びかけました。しかし政府側の妨害により、このゼネストはうまく組織化されず、効果もありませんでした。事務局長は逮捕されましたが、しばらくして釈放されました。
労働組合の組合員はどのような機関においても意見を言う機会がありません。国会にはこの事務局長が議席を持っていましたが、国会においてさえも、労働側に不公平なさまざまな法案が採択されました。それに対して労働側が反対意見を述べようとしても、聞いてもらうような機会が与えられませんでした。
三者構成の最低賃金審議会には労働側から代表を送っていますが、労働側の意見は取り上げられません。
この10年間に通った法律の一つに、以前は使用者が解雇するときは労働大臣に諮問しなければならないと規定されていたのに、諮問もなく解雇し、人員整理を宣言できるという法律が制定されました。
この間に2回、組合の選挙が行われました。
2回目は昨年です。昨年の選挙で幹部が変わって、新しい指導部が結成されました。

COTUKの活動方針

 労働法の見直しをする必要があります。政府も労働法見直しのためのタスクフォースを設置しました。このタスクフォースにはCOTUKのも代表も委員として参加しています。
現在、ケニアでは憲法の見直し作業も行われています。そのためのフォーラムも行われています。憲法の見直しについても先ず要求したのはCOTUKです。見直しのための委員会が設立され、それにもCOTUKの代表が入っています。
現在の大統領は、憲法の規定により、来年行われる大統領選挙に立候補することはできません。国民の中には、来年の大統領選挙で国に大きな変化が起こるのではないかという期待感が盛り上がっています。現在の大統領は22年間大統領の座にあり、独裁的にケニアを統治してきました。
ほかにも労働運動に影響を与えていることがあります。まずは市場の自由化の問題です。
市場の自由化は10年ぐらい前に始まりましたが、これが一般の人々の生活に大きな影響を与えました。多くの労働者が市場の自由化によって失業し、貧乏になりました。
もう一つは、HIV/エイズの蔓延です。
これにより労働者も一般国民も大きな影響を受けています。現在の統計によると、ケニアでは1日に700人位がHIV/エイズで亡くなっています。
このような背景事情の中に、新しいCOTUKの新指導部が登場したわけです。
新指導部は次の目標を掲げました。国内の労働条件を改善する。HIV/エイズの影響を軽減する、これは組合員も一般大衆も 目標にしています。3番目は、労働組合運動の強化です。
これらの目標を達成するための具体的な活動として、まず労働法見直しのためのタスクフォースに組合側の代表を送っています。
次に、教育活動を強化し、また、意識向上活動を行なっています。教育関係で、COTUKは約20年前に労働大学を設立いたしました。
けれども、10年ぐらい、この大学組織は機能していません。そこで、この大学組織をもう一回生き返らせて、活発化しようとしています。
労働組合が組合員に提供するサービスを向上させようと考えています。そのために、交渉力を高めるための専門家を何人か雇いましたし、それぞれの加盟組合でもコンサルタントを雇っています。